2015/03/01

フリーランスの制作者であるということ、いろいろ。

昨年の自分は半分フリーランス、半分組織に所属みたいな1年だったわけですが、まぁそんな働き方もフリーランスならではの選択だとすると、フリーランス3年目が終了して4年目に突入しました。

フリーランスという働き方だからこそ見えてきたことはたくさんあって、いつかそのことをちゃんと書こうと思っていたらズルズルとこんな時期になってしまいました。

まず、これはよく周囲の人にも言っているのですが、どんな業界でもその業界が活性化するためにはそこで働く人の働き方の多様性が認められるべきだと思うんです。
つまりは、いろんな働き方をしている人たちが協働しながらその業界を支えているイメージ。
舞台芸術制作者の所属だけででいえば、劇場に所属している人、フェスティバル等催事の事務局に所属している人、劇団やカンパニー等芸術団体所属の人、アートNPO所属の人、ほかに中間支援団体とか、助成団体所属の人、そしてフリーランスの人達が協働するからこそ単独ではできない多様なプログラムが可能になってくると思うんですね。
所属だけではなく、正規雇用、非正規雇用など各所属の中でもさらに働き方はいろいろあると思うのですが。

で、フリーランス制作者として生きてみてよくよーく分かったのは、結局今の業界でフリーランスが必要とされるのは、ある組織の催事やプログラムにおいて物理的に人手が足りない時。
つまりは各組織のマンパワーの不足を補てんするためのポジションで、そしてその投入タイミングとしても、組織から見たときに無駄のないタイミング、即ち催事ギリギリということはよくあるわけで。

組織のスタッフというのは、ある程度暇な時期(歩行)、催事に向って少しやること増えてきた時期(早歩き)、催事が近づき残業増えてきた時期(助走)、催事直前(疾走)、催事期間(全力疾走)を繰り返して、1年間のなかでのペースを作っていると思うんですね。

フリーランスが入るのは、このペースの中でいえば良くて助走、だいたいの場合は疾走からになります。そして入った瞬間から、その所属組織のスタッフと並走できることが求められるわけです。
組織の人が疾走しているなか、遥か後方で歩いている人なんて正直投入する必要ないとみなされますから。
フリーランスはそうやって、ある現場が終われば次の現場へと、あらゆる最前線で疾走し続けるわけですから、これは本当に物凄い体力が必要です。そして、それだけ最前線を踏み続けると、経験・知識・人脈も着実に積み重なっていきます。

じゃあ、そうやって経験・知識・人脈を蓄積したフリーランスの「現場の人員不足の補填」以外の活躍の場は?

この業界、やっぱり村長は村から選ぶみたいな習慣があると思うんですね。
だからたとえばフリーランスという身分のまま、組織の企画段階から関われたりすることはほとんどなくて、その組織のプロデューサーなりディレクターが企画して、予算も何も大枠が決まったところでフリーランスにぽんと飛んでくることはあるけれども、やっぱりフリーランスという身分のまま組織の(ある単発プログラムだけでも)プロデュースを任せられるみたいなことは本当に少ないと思います。もちろんそこには、いざという時に責任を誰が取るのかという問題と関わってくるので、難しい問題だと思いますが。

だから、蓄積した経験・知識・人脈の使いどころがない。これが、フリーランスが最終的にまた組織に戻っていく理由の一つだと思います。

もうひとつの理由が、やっぱり労働環境がよくないこと。組織に所属していないので社会保険や福利厚生がないわけですから、その分自分で負担しなくてはいけないにも関わらず、労働に対する対価が安い。
最前線を踏み続けている人に対して、その人の持っている経験・知識・人脈に対する付加価値が考慮されているとは到底思えない価格設定になっているのはやっぱり「補填人員」という意識があるからなんじゃないかと。

このことについては自分も反省する部分があります。
つまり最初にフリーランスになったときはやっぱり不安だったんですね。それまで組織が守ってきてくれたものが、自分のスキルのみを武器にこの世を生き抜かないといけないわけですから。
海のものとも山のものとも知れぬ私に仕事を依頼してくれるのだろうか…とか。

だから正直最初はたとえほぼノーギャラに近い仕事があったとしても「自分に仕事をふってくれること」自体が嬉しかったわけです。だから対価よりも「行動すること」本位で動いて、いろいろな現場を踏めることがすごく勉強になったので、「お金じゃないもので対価を得ている」と思っていました。依頼された仕事に対して採算度外視で120%で返すことを本気で考えていましたし。

でも2年、3年と続けるとやっぱり目が覚めてくるわけですね。フリーランスという、なんの保証もないフィールドで己のみを武器に戦っているのだから、ちゃんと報酬を得るべきだと。そして保証がないからこそ、単に労働時間だけで換算された賃金設定ではいけないのだと。

最初に「労働環境がよくない」って書いたけど、そもそもフリーランスなんだからそこは自分でデザインすべきところでもあるわけですが、そういう意識が持てるまでにやっぱり3年かかりました。それは自分自身の能力に対しての自信や確信が持てるまでにこの時間が私の場合必要だったってことかもしれません。

これまでの話とちょっとずれるかもしれませんが、そもそもフリーランスってほかの業界でいえば、組織に所属している人が経験積んで知識や人脈ができてから移行するものだと思うのですが、この業界、なぜか組織の採用枠に「経験○年以上」とかいう縛りがあったりして、じゃあこの業界で働きたい人は最初はみんなフリーランスから始めるしかないのかい、と。ベクトルが逆ですよね。
人材育成を放棄した業界に未来はないですよ!

今までの話をまとめると、この業界のフリーランスっていうのはある期間通過するものにしかならないんですよね、つまりこんな感じ(超ざっくり)

卒業→「経験○年以上」が満たせないので自力で頑張るフリーランス→疲れて辞める。
卒業→「経験○年以上」が満たせないので自力で頑張るフリーランス→組織に所属→経験積んでフリーランスへ→結局組織に戻る
卒業→組織に所属できた→経験積んでフリーランスへ→結局組織に戻る

フリーランスのままで40歳、50歳を思い描くことが非常に困難です。

ここまでの話は組織に所属することが悪いと言っているわけでは全くないのですよ、あしからず。
フリーランスという生き方を選択しても、それが持続できない現状がどうかってことで。
組織ありきで、その隙間をフリーランスが埋めるのではなくって、組織でもフリーランスでも働き方の選択肢として選べて、それぞれの才能が活かせるようになることが理想だと思うんです。

だから私はあくまでフリーランスで頑張りたい。
そもそも私の性格や才能が活きる働き方はフリーランスだと自分でも思うんですよね。

このエントリーをわざわざ書いたのは、この視点ってこっち側に来てみないとたぶん気づかないものでもあると思うから、ちゃんと見える化しておきたかったんです。

最後に組織の人にお願い。

1.組織の人は打ち合わせの時間もちゃんと給料出るし、交通費も精算できますが、フリーランスは仕事になるまではノーギャラです。そのコストを理解してほしい。

2.お互い合意の上ならまだしも、そうでない場合は最初に謝金は提示してほしい。

今年は新しく始めることがいくつもあるので、また1年経った頃に自分の考え方や見える景色がどれだけ変わるか、我ながら楽しみでもあります!